日本でいうフレーク状のオートミール(ロールドオーツ)が登場したのは150年ほど前ですが、その原料であるオーツ麦は3万年以上の長い歴史を持っています。
イタリアでは、約32,000 年前の旧石器時代の狩猟採集民住居だった洞窟で、野生オーツ麦の痕跡が見つかっています。また、中東のヨルダン渓谷では、11,000年前の新石器時代の遺跡で12万を超える野生のオーツ麦の種子が発見されました。
オーツ麦の栽培の起源は明らかになっていませんが、他の穀物の栽培化と同様に、イラン、イラク、シラク、トルコの肥沃な三日月地帯と北アフリカおよびスペイン南部のイベリア半島ではじまったと考えられています。
ヨーロッパでオーツ麦が栽培されるようになったのは、二千年ほど前のことです。冷涼で湿った環境を好むオーツ麦は、ヨーロッパの気候に非常によく適応したため、1世紀ごろまでに広く栽培される穀物になりました。
オーツ麦を食べる習慣が根づいているイギリスやスコットランド、アイルランドにこの穀物を伝えたのは、40年からイギリス諸島(ブリテン島)を支配したローマ人でした。オーツ麦の生育に適した気候だったこともあり、特にスコットランドなど北部での栽培が発展し、これらの地域の繁栄に貢献しました。
イギリスでは中世時代にもオーツ麦は盛んに栽培されており、当時の遺跡や文献にはそれを示す形跡が残されています。
イギリスでは、17世紀中ごろまで家畜飼料としてオーツ麦の需要は増加し、18から19世紀中ごろまで、オーツ麦はイギリスの主要な家畜飼料でした。食用のオーツ麦に関しては、小麦や大麦の栽培技術の向上にともない、消費量は減少していきました。
オーツ麦を加工した「オートミール」を世界的に広く普及させたのは、アメリカのシリアルブランドですが、この穀物がアメリカ大陸にもたらされたのは、17から18世紀にかけてのことです。
オーツ麦はヨーロッパからの移民、スペイン人が南北アメリカに、ドイツ人およびイギリス人が北アメリカに伝えました。
19世紀中ごろまでに、アメリカのミシシッピー川東部でオーツ麦が多く栽培され、20世紀にかけて、カナダ南部へと拡大しました。
オーツ麦からロールドオーツへ
古代ギリシャやローマで家畜の飼料にされていたオーツ麦ですが、ヨーロッパ、特にイギリスにおいて主食の作物として栽培され、何千年も前から主にお粥(ポリッジ)にして食べられてきました。
ローマ帝国初期の博物学者プリニウスは、1世紀ごろの著作『博物誌』のなかで、ゲルマン人がオーツ麦のお粥を食べていることを記しています。
また、イギリスの文学者サミュエル・ジョンソンは1755 年刊行の『英語辞書』で、スコットランド人がオーツ麦を食べていると書いています。
オーツ麦は石臼で粗粉(粒の粗い粉)にして使れていました。イギリスにおけるオーツ麦の製粉加工は、たとえば、イギリス北西部のチェシャー州にある製粉工場モーンフレークが、家畜飼料用に石臼水車を使ったオーツ麦製粉を1675年にはじめています。この工場は1941年からはオーツ麦の朝食用シリアルの販売をはじめ、15代にわたり、オーツ麦の製品を製造・販売をつづけています。
また、現在は観光名所となっているイギリス湖水地方のエスクデイル水車製粉所は、1578年に建てられ、1740年から1890年までオーツ麦と大麦の製粉が盛んにおこなわれていました。農家の家族や労働者のパンを焼くために、石臼で挽かれたオーツ麦が用いられていたといいます。
北アイルランドのタンドラジーでは、1841年に創設されたホワイツ製粉工場が、オーツ麦をフレーク状にする最新機械を導入し、1890年からロールドオーツ「ホワイツ薄焼きオーツ」の製造・販売をはじめています。1920年には、よりスピーディに調理できるバージョンを発表し、売り上げを伸ばしました。
イギリスの雑誌『フード・ジャーナル』の1871年の記事では、「現在のスコットランドでは、大麦の粗挽き粉は以前ほどあまり使用されていない。実際、農民の食べ物における割合は非常に小さい。しかし、オートミールは、どこでも中心的な食べ物である。オートミールは、ポリッジおよびオーツケーキ、もしくはオーツケーキより厚めのバノックを作るのに使用される」と書かれています。
1873年の記事では、「オートミールはオーツ麦を挽いて細かくした粉」と説明し、スコットランドの人々は、ポリッジ(お粥)やオーツケーキにして食べていると記載されています。オーツ麦のポリッジは、オートミールを沸騰させたお湯で煮てよく混ぜて作り、一方、オーツケーキは、水を混ぜたオートミールの生地を薄いケーキにして鉄のフライパンで焼いて作る、と紹介しています。
何世紀もの間、イギリスやスコットランドなどでオーツ麦はお粥やパンの食材として使われてきましたが、「オートミール」の知名度を上げ、世界的に普及させたのは、アメリカのシリアル企業です。
アメリカでは、19世紀、オーツ麦の加工技術が革新的な進歩を遂げました。
1840年、ジェームズ・アンドリューとエノク・パイパーがアメリカ・メイン州において、より早い速度で作動するオーツ麦と大麦の改良脱穀機を発明し、効果的にオーツ麦の脱穀を可能にしました。
ドイツ移民のフェルディナンド・シューマッハーは、オハイオ州アクロンにジャーマン・ミルズ・アメリカン・シリアル・カンパニーを創設し、1854年に、ヘンリー・クルーゼおよびアミュス・エリクソンとともに、ホールグローツを多数の均一の粗い粒にカットし、スティールカットオーツを製造する機械を開発しました。
その10年後、シューマッハーは、スティールカットオーツをフレーク状にする磁器のローラーを機械に組み合わせ、初代のロールドオーツの生産を可能にしました。脱穀したオーツ麦を蒸し、ローラーで平らにしてフレーク状にして焼いたロールドオーツはすぐに大ヒットし、シューマッハーは「オートミール王」として名声を極めました。
シューマッハがオートミール市場に旋風を巻き起こしていた頃、オハイオ州周辺には、小規模なオートミール企業がいくつか出現しています。
カナダで製粉工場を営んでいたジョン・スチュアートが、1873年にアイオワ州にノース・スター・オートミール・ミルズを移転開業。また、オートミール製造会社クエーカーオーツを経営していたヘンリー・パーソンズ・クロウェルは、1877年にクエーカー教徒をロゴマークに朝食用シリアルの販売を開始し、アメリカで大々的に広告を打ちました。
その後、アメリカの大手オートミール企業7社が合併し、1901年にクエーカーオーツカンパニーが設立されました。
ロールドオーツの最もポピュラーな食べ方は、朝食用ホットシリアルです。伝統的なポリッジはオートミールと呼ばれる微粒子状のオーツ麦で作られましたが、今日、「オートミール」といえばロールドオーツで作られるポリッジを表すのが一般的です。
オートミールのホットシリアルは、時代遅れでおいしくない食べ物と、長い間、あまり人気がありませんでした。しかし、オーツ麦の栄養と効能に関する研究が進み、現在では優れた食べ物として高く評価されています。
オーツ麦を使ったレシピも、朝食シリアルはもちろん、お菓子やスナック、スムージーといった飲み物、スープや副菜などバラエティに富みます。
オーツ麦、オートミールは、今後も注目したい食品といえます。
参考文献:Advances in Food and Nutrition Research, Volume 77/The Food journal Volume 1, 3